盛岡ぶらり散歩 ~山岸編~ umenai

今回の盛岡ぶらり散歩は山岸地区(山岸町・御弓町)をお送りします。

山岸地区は盛岡城から4号線を超えた所に位置する唯一の城下町で、
遠くは閉伊地区から海産物、塩、鉄などを牛馬で運んでくる「塩の道」と呼ばれた
野田街道を通る町として、当時は栄えました。
今でも昔ながらの古い家々が点在し、その面影が随所に見受けられます。

その中で今回、厳選して歩いた道はこちら。
※水色の線

(小さく見ずらくてすみません。)
c0155239_14444940.jpg


まずはこちらの写真。
千手院の墓地。周りは建物やアパートに囲まれながらひっそりと存在しています。
かの有名な忠臣蔵の赤穂浪士四十七士は討ち入り後、全員切腹することに
なりましたが、ただ一人は生き残ったといわれています。
それは「最後の忠臣蔵」という映画の主人公でもある寺坂吉右衛門。
その寺坂吉右衛門を弔った墓がこちらにあるのだとか。
(勉強不足のため間違っていたらすみません)
c0155239_15101562.jpg


さて、地図に記載の下馬門から山岸駅北の永福寺へと続く道が、
当時の参道になります。南部のお殿様は、この下馬門で馬をわざわざ下りて
永福寺へ参拝に行ったという由緒あるお寺です。詳しくは後程。

その参道にはいまではJR山田線の線路が横切っています。
注意したいのは踏切の名前が「岩手焼踏切」という
なんとも不思議な名前です。気になります。
しかし、色々調べてみてもなかなか詳細は分かりませんでしたが、
その昔、現在の山岸3丁目付近にて茶器やお椀、瓦などを
焼いていた窯場が存在していたようで、現在は家々が建っていますが、
それらを新築する際は土の中から様々な陶器の破片などが出てきたそうです。
踏切の名はそこから来ているのでしょうか。

c0155239_1525262.jpg


「山岸駅」
盛岡に住んでいる人でも山岸駅に実際にいった事のある方は少ないのでは。
c0155239_15323543.jpg


岩手焼踏切ともう一つの踏切。
遮断機がない踏切です。
c0155239_15352277.jpg


その踏切の前には今回の散歩のゴール地点である「永福寺」があります。
南部氏は不来方城築城の際、不来方城から見て北東「鬼門」の方向に、
この永福寺を鬼門鎮護のため建立しました。
「盛岡」という地名は南部重信公と永福寺住職、清珊法印が詠んだ連歌に
由来しているといわれております。

上の句 「幾春も 華の恵みの露やこれ」 重信公
下の句 「宝の珠の盛る岡山」 法印

この歌には共に城下の繁栄、安泰の意を込めて作った歌に違いありません。
ちなみにこの永福寺境内は当時約3万坪の広さを誇っていたようですが、
明治維新後の神仏分離、廃仏毀釈により廃寺になり、いまとなっては
わずかな敷地を残すのみとなりました。
現在の建物(下の写真)は昭和22年に再建されたものになります。
c0155239_15594727.jpg


今回はあくまで「山岸地区」の一部のみを紹介させていただきました。
まだまだ魅力ある町ですので皆様も是非、その魅力を見つけてみてください。

これからも徐々にぶらり散歩の記事を更新していこうと思います。
興味のない方も沢山いらっしゃると思いますが、少しでも盛岡の
素晴らしさを再認識していただけるきっかけになれば幸いです。
[PR]
by bombo0714 | 2014-05-12 16:04 | umenai | Comments(0)

おすすめ情報から日常の事まで。スタッフ全員のブログです!


by bombo0714