以前岩手競馬に「ロックハンドスター」という競走馬がいました。
訳すると「岩手の星」である。
ロックハンドスターは2009年に競走馬としてデビューしました。
翌年の2010年、3歳となったロックハンドスターは岩手競馬三冠レースと言われる
ダイヤモンドカップ、不来方賞、ダービーグランプリという
3つのレースで優勝し3歳三冠という偉業を果たしました。
また、その年の12月には一線級の馬たちが集結するレース、
桐花賞で古馬と対戦し見事勝利を収め、
誰もが認める岩手を代表する競走馬へと成長したのでした。
以前より厳しい経営状況によって常に廃止の危機を背負っていた
岩手競馬にとってロックハンドスターの存在、活躍は
一筋の光でもありました。
しかし、そんな岩手競馬の経営を更に追い込んだ出来事。
2011年3月11日、東日本大震災。
テレトラックなどが被災しレースが行われない状況が続き、
またしても岩手競馬は廃止の危機を迎えたのでした。
そしてその年の10月、盛岡競馬場で毎年行われていた
地方G1「マイルチャンピオンシップ南部杯」が
2011年は復興レースとして東京競馬場で開催されることになりました。
岩手代表として出走依頼があったロックハンドスターでしたが
東日本大震災の影響でコンディションが思わしくない事から
関係者たちは出走する事に躊躇していました。
しかし関係者はロックハンドスターの活躍で岩手を元気にしたい、
全国にもっと岩手競馬を知ってもらいたいという思いから、
悩んだ末、レースに出走する事を決めたのでした。
そして東京競馬場の空に鳴り響いた岩手競馬のファンファーレ。
その直後の出来事でした。
東京競馬場ダート1600Mのコースで行われたレーススタート間もなく、
ロックハンドスターは芝からダートに変わる境目で
右上腕骨を骨折し騎手も落馬。
診断結果は予後不良により安楽死、享年4歳。
彼は名前の通り、星になったのでした。
そんな中、復興レースとして行われた南部杯は記録的な売り上げを達成。
その分配金により岩手競馬の廃止は免れたのでした。
そして彼のおかげで岩手競馬は今も続いています。
しかし、そんな岩手競馬に今年またしても廃止の危機が訪れています。
連日ニュースでも取り上げられている岩手競馬所属の
競走馬からの3度にもよる禁止薬物の検出。
そのため岩手競馬は休止を余儀なくされています。
公正が大前提の競馬にはあってはならない事件。
一体誰が何のために・・・。
ロックハンドスターが命に代えて
星となって照らし続けている岩手競馬の明かり。
その明かりを決して消すこと事があってはなりません。
一刻も早い真相究明、再発防止、そしてレースの再開を
岩手競馬のファンの一人として願っております。
頑張れ岩手競馬!!
ありがとうロックハンドスター!!